■少年サッカー番外編 「おやじコーチA VS おやじ監督B」(7)
「自己満足」
3人のおやじコーチA、おやじ監督B、おやじオーナーCが、完全にチームを仕切った。しかし、監督・コーチたちは、一向に意に介さないようで、フツーにやっていた。
ということは、「毎年こうなんだということなのか? このチームはこういうチームなのか?」そんな疑問を持った。
彼らのチームは平和だった。3人がほとんどのことを仕切ってくれるということは、余り積極的にかかわりたくない親にとっては、こんなありがたいことはない。何でもやってくれるんだから…。
3人を外から見ていると不思議だった。勢力争いは目に見えて激しくなっていくし、「俺の息子、俺の息子」と自分の息子を前面に出したい姿は、はっきりわかる。だが、3人はいつも一緒なのだ。この人たち、本当は仲良しかもしれない…と思うほどだった。
その3人が手を組んだ。
試合で助っ人に行ったときだった。いきなり、俺たち下の学年の親たちが呼ばれた。下の学年のキャプテンの親、つまり俺、そして副キャプテンの親2人、そして彼ら3人が選んだんだろうが、レギュラーの子供の親数人がそこにいた。
「地区大会をやることにしました」とおやじコーチAがにこやかに切り出した。「???」なんのことかさっぱりわからなかった。
彼の話は続いた。よって、皆さんにも来年のために役員をやっていただきます。と決めつけられたしまった。
そしてプリントが配られた。なんと、「地区小学校のクラブ活動をやっている人たちに試合の機会を与え、もって少年サッカーの底辺拡大を図る」などと目的が書かれ、役員に俺たちの名前が既に入っていた。
そして地元新聞社やケーブルテレビまで連絡をとり、次の日の記事やニュースに出してもらえるように取り計っていた。
かなり「イラッ」と来るものがあったが、先輩の言うことは聞くものだとたたき込まれた俺たち世代の悲しい性が、俺たちに反論すらさせなかった。
「はい、わかりました」と俺が頭を下げ、すべてが終わった。
その大会が開かれたのは、秋だった。
多くの小学校の先生の助けを借り、大会は開かれた。女の子も男の子に交じって頑張っていた。
俺は、少年サッカーチームの子供たちは、当然審判やオフィシャルをやるものだと思っていた。ところが、それは俺たち親の仕事だった。
試合といえば、少年サッカーの子供たちが、素人(失礼な言い方だが)相手に、学校のチームのエース気分で好き勝手やっている奴、ひとりでどんどん上がり、ひとりで点を入れてくる奴、学校の友達を「下手くそ」となじる奴、チームに少年サッカーの子供が4人もいるような学校のチームは勝つに決まっていた。
遠く離れたところからわざわざ参加してくれた小学校のチームには一人も少年サッカーの子供はいない。それをこてんぱんにやっつけて、喜んでいる奴ら。見ていて、ヘドが出そうだった。
しかし、俺たちは、言われたとおり、役員をこなし、大会はスムーズに運営された。
3人の功績は次の日の新聞紙上に掲げられ、ケーブルテレビに顔が出ていた。
そして次の年
俺は、その大会の準備を始めた。ところが、学校の制度がかわり、クラブ活動が廃止された。つまりサッカークラブは消滅してしまったのだ。どうやって大会を開くんだよ。
俺は、学校の先生たちに手紙を書き、参加のお願いをした。ところが、帰ってきた返事は、たった1校のみ参加しますというものだった。当然のことだった。
去年の大会で子供たちが喜ぶどころか、「つまらない」の一言で片づけられてしまうような大会に、忙しい予定の中、わざわざ参加する気になどなるはずがなかった。
彼らは、何もわかっていなかった。
初めてやるものは英雄だ。
「俺が、俺が…」と言っていれば済む。そして恐らく今でも、そう言っているに違いない。
しかし、その後、それを維持していくためにどれだけの苦労が後の人たちを苦しめるかも考えていなかった。
俺は、決めた。「やめ〜た」
そして、この「自己満足の大会」は、たった1回で廃止された。
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「自己満足」
3人のおやじコーチA、おやじ監督B、おやじオーナーCが、完全にチームを仕切った。しかし、監督・コーチたちは、一向に意に介さないようで、フツーにやっていた。
ということは、「毎年こうなんだということなのか? このチームはこういうチームなのか?」そんな疑問を持った。
彼らのチームは平和だった。3人がほとんどのことを仕切ってくれるということは、余り積極的にかかわりたくない親にとっては、こんなありがたいことはない。何でもやってくれるんだから…。
3人を外から見ていると不思議だった。勢力争いは目に見えて激しくなっていくし、「俺の息子、俺の息子」と自分の息子を前面に出したい姿は、はっきりわかる。だが、3人はいつも一緒なのだ。この人たち、本当は仲良しかもしれない…と思うほどだった。
その3人が手を組んだ。
試合で助っ人に行ったときだった。いきなり、俺たち下の学年の親たちが呼ばれた。下の学年のキャプテンの親、つまり俺、そして副キャプテンの親2人、そして彼ら3人が選んだんだろうが、レギュラーの子供の親数人がそこにいた。
「地区大会をやることにしました」とおやじコーチAがにこやかに切り出した。「???」なんのことかさっぱりわからなかった。
彼の話は続いた。よって、皆さんにも来年のために役員をやっていただきます。と決めつけられたしまった。
そしてプリントが配られた。なんと、「地区小学校のクラブ活動をやっている人たちに試合の機会を与え、もって少年サッカーの底辺拡大を図る」などと目的が書かれ、役員に俺たちの名前が既に入っていた。
そして地元新聞社やケーブルテレビまで連絡をとり、次の日の記事やニュースに出してもらえるように取り計っていた。
かなり「イラッ」と来るものがあったが、先輩の言うことは聞くものだとたたき込まれた俺たち世代の悲しい性が、俺たちに反論すらさせなかった。
「はい、わかりました」と俺が頭を下げ、すべてが終わった。
その大会が開かれたのは、秋だった。
多くの小学校の先生の助けを借り、大会は開かれた。女の子も男の子に交じって頑張っていた。
俺は、少年サッカーチームの子供たちは、当然審判やオフィシャルをやるものだと思っていた。ところが、それは俺たち親の仕事だった。
試合といえば、少年サッカーの子供たちが、素人(失礼な言い方だが)相手に、学校のチームのエース気分で好き勝手やっている奴、ひとりでどんどん上がり、ひとりで点を入れてくる奴、学校の友達を「下手くそ」となじる奴、チームに少年サッカーの子供が4人もいるような学校のチームは勝つに決まっていた。
遠く離れたところからわざわざ参加してくれた小学校のチームには一人も少年サッカーの子供はいない。それをこてんぱんにやっつけて、喜んでいる奴ら。見ていて、ヘドが出そうだった。
しかし、俺たちは、言われたとおり、役員をこなし、大会はスムーズに運営された。
3人の功績は次の日の新聞紙上に掲げられ、ケーブルテレビに顔が出ていた。
そして次の年
俺は、その大会の準備を始めた。ところが、学校の制度がかわり、クラブ活動が廃止された。つまりサッカークラブは消滅してしまったのだ。どうやって大会を開くんだよ。
俺は、学校の先生たちに手紙を書き、参加のお願いをした。ところが、帰ってきた返事は、たった1校のみ参加しますというものだった。当然のことだった。
去年の大会で子供たちが喜ぶどころか、「つまらない」の一言で片づけられてしまうような大会に、忙しい予定の中、わざわざ参加する気になどなるはずがなかった。
彼らは、何もわかっていなかった。
初めてやるものは英雄だ。
「俺が、俺が…」と言っていれば済む。そして恐らく今でも、そう言っているに違いない。
しかし、その後、それを維持していくためにどれだけの苦労が後の人たちを苦しめるかも考えていなかった。
俺は、決めた。「やめ〜た」
そして、この「自己満足の大会」は、たった1回で廃止された。
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