■「経験」とは
「経験」という言葉…よく聞く言葉だ。
だが、若いころは、その「経験」をばかにすることが多い。俺もそうだったのかもしれない。
例えば、会社で、新しいことを学ぼうともしない先輩や上司、周りには必ずいるはずだ。そういうのに限って「経験がものを言う」なんて言っている。
俺が、サラリーマン技術者だったときのことだ。
自分では、若手の中で結構やり手のつもりでいた。どの現場へ行っても「一件落着」なんて、仕事が終わって、そのまま現場からみんなで酒を飲み回っていたころだった。
今でもはっきり覚えていることがある。
「I○○本社ビル」、そう、あのコンピューター会社が東京に本社ビルを新築したときだった。コンピュータールーム用のエアコンの新製品が出て、それを改造して納入した。もちろん改造の指示や図面は俺が描いた。
ある日…「試運転失敗」の知らせが入った。営業とサービスマンが現場に急行したが、原因不明ということで、仕方なく現場に行く。
エアコンの図面、建物の建築図面、設備図面、配管図面、電気配線図、すべてチェックしても動かないわけがない。しかし、機械はスイッチを入れるとしばらくして緊急停止してしまう。
思いつくところを調べた。何度も何度もあわゆるところを調べた。陽が暮れ、ついに夜が明けた。
サービスマンたちとともに徹夜で調べた。しかし…わからない。そんな馬鹿な…。
指示を出せない俺に、疲れの色が濃くなってきたサービスマンたちの目が、信頼から疑いに変わってきた。
営業マンは、賠償の金の計算を始めた。
昼、工場の設計部の担当者が関西から飛んできた。
午後、品質管理部の担当者も到着した。
みんなそれぞれの分野のプロが必死になって、何かを探し回っていた…でも、見つけられなかった。
機械のスイッチを入れる、でっかい機械がすごい音を立てて動きだし、そして「キューン、バーン」と緊急停止する。何度も、何度もそれが繰り返される。
関係者の顔から血の気が引いてきた。
明日、引き渡し検査がある。設計事務所、ゼネコン、設備工事会社…すべての担当者が祈るような思いで機械を見つめる。…しかし、緊急停止を繰り返すだけの特殊エアコン、設定を変えつつテストを繰り返すサービスマンを横目に…
「もう、だめだ。俺の手にはおえない。」…放心状態のまま、床に座り込んでしまった。
そのとき、ふと、初老の品質管理のおやじが、何を思ったか床板をめくりあげた。
…なんということだ、水びたしになっていた。これが原因だった。
エアコンは、空気中の水分を水にして排水する。しかし、なぜ、こんなところに…排水管を通って外に排出されるはず…「はず」、すべてが「はず」だった。
その年の夏の湿度は高すぎた。そして新築のビルは、まだコンクリートが完全に乾燥していなかった。そんな湿気だらけの中で、工事現場が暑いからと、コンピューターも入っていなくて発生する熱もないのに、エアコンを全開で回してしまった。
完全に除湿器となったエアコンは、どんどん出てきた水が処理能力を超え、コンピューター室の床下、つまりフリーアクセスの吹き出し口から噴き出していたのだった。
原因はわかった。
さて、どうやって止める…みんなが悩んでいた。
「熱もないのに運転するからだよ」そんな声もちらちらと聞こえた。
「しかし、試運転は同じ状態でやるしかない」現場監督が言った。
そのとき、姿が見えなかった。初老のおやじ、つかつかつかと、どこからくすねてきたのか、ビニールパイプを持ってやってきた。機械の扉を開け、いとも簡単につなぎ、水の流れを変えた。
たった、それだけのこと?…水はぴたりととまった。
「コンピューターが入るまでの間だけやろ、こんでええがな」初老のおやじは笑って言った。
15台すべての機械に同じ処置をし、終わった。
その夜、現場に集まったみんなで、いつものように酒を飲みにいった。
小さくなっていた俺に、おやじが、声をかけてくれた。
「よう、若いのに、えらい頑張るやんけ、兄ちゃん、東京へ置いくのもったいないな」
「こんなおやじに勝てるわけねえ…」
「経験」とはこういうものだったのか、初めて知ったときだった。
では、また…
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「経験」という言葉…よく聞く言葉だ。
だが、若いころは、その「経験」をばかにすることが多い。俺もそうだったのかもしれない。
例えば、会社で、新しいことを学ぼうともしない先輩や上司、周りには必ずいるはずだ。そういうのに限って「経験がものを言う」なんて言っている。
俺が、サラリーマン技術者だったときのことだ。
自分では、若手の中で結構やり手のつもりでいた。どの現場へ行っても「一件落着」なんて、仕事が終わって、そのまま現場からみんなで酒を飲み回っていたころだった。
今でもはっきり覚えていることがある。
「I○○本社ビル」、そう、あのコンピューター会社が東京に本社ビルを新築したときだった。コンピュータールーム用のエアコンの新製品が出て、それを改造して納入した。もちろん改造の指示や図面は俺が描いた。
ある日…「試運転失敗」の知らせが入った。営業とサービスマンが現場に急行したが、原因不明ということで、仕方なく現場に行く。
エアコンの図面、建物の建築図面、設備図面、配管図面、電気配線図、すべてチェックしても動かないわけがない。しかし、機械はスイッチを入れるとしばらくして緊急停止してしまう。
思いつくところを調べた。何度も何度もあわゆるところを調べた。陽が暮れ、ついに夜が明けた。
サービスマンたちとともに徹夜で調べた。しかし…わからない。そんな馬鹿な…。
指示を出せない俺に、疲れの色が濃くなってきたサービスマンたちの目が、信頼から疑いに変わってきた。
営業マンは、賠償の金の計算を始めた。
昼、工場の設計部の担当者が関西から飛んできた。
午後、品質管理部の担当者も到着した。
みんなそれぞれの分野のプロが必死になって、何かを探し回っていた…でも、見つけられなかった。
機械のスイッチを入れる、でっかい機械がすごい音を立てて動きだし、そして「キューン、バーン」と緊急停止する。何度も、何度もそれが繰り返される。
関係者の顔から血の気が引いてきた。
明日、引き渡し検査がある。設計事務所、ゼネコン、設備工事会社…すべての担当者が祈るような思いで機械を見つめる。…しかし、緊急停止を繰り返すだけの特殊エアコン、設定を変えつつテストを繰り返すサービスマンを横目に…
「もう、だめだ。俺の手にはおえない。」…放心状態のまま、床に座り込んでしまった。
そのとき、ふと、初老の品質管理のおやじが、何を思ったか床板をめくりあげた。
…なんということだ、水びたしになっていた。これが原因だった。
エアコンは、空気中の水分を水にして排水する。しかし、なぜ、こんなところに…排水管を通って外に排出されるはず…「はず」、すべてが「はず」だった。
その年の夏の湿度は高すぎた。そして新築のビルは、まだコンクリートが完全に乾燥していなかった。そんな湿気だらけの中で、工事現場が暑いからと、コンピューターも入っていなくて発生する熱もないのに、エアコンを全開で回してしまった。
完全に除湿器となったエアコンは、どんどん出てきた水が処理能力を超え、コンピューター室の床下、つまりフリーアクセスの吹き出し口から噴き出していたのだった。
原因はわかった。
さて、どうやって止める…みんなが悩んでいた。
「熱もないのに運転するからだよ」そんな声もちらちらと聞こえた。
「しかし、試運転は同じ状態でやるしかない」現場監督が言った。
そのとき、姿が見えなかった。初老のおやじ、つかつかつかと、どこからくすねてきたのか、ビニールパイプを持ってやってきた。機械の扉を開け、いとも簡単につなぎ、水の流れを変えた。
たった、それだけのこと?…水はぴたりととまった。
「コンピューターが入るまでの間だけやろ、こんでええがな」初老のおやじは笑って言った。
15台すべての機械に同じ処置をし、終わった。
その夜、現場に集まったみんなで、いつものように酒を飲みにいった。
小さくなっていた俺に、おやじが、声をかけてくれた。
「よう、若いのに、えらい頑張るやんけ、兄ちゃん、東京へ置いくのもったいないな」
「こんなおやじに勝てるわけねえ…」
「経験」とはこういうものだったのか、初めて知ったときだった。
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