■少年サッカーの本質
最近、俺の主催している掲示板にある問題で議論が巻き起こっている。
事の発端は、小学生低学年のチーム分けの話から始まった。
実力主義で力のある低学年の選手を一つ上の学年のチームに入れ、実力の劣る高学年を低学年チームに移して試合に臨むべきか、いや、そうではなく同学年は一つのチームとして互いの和を重んじて試合に臨むべきか、という問題だった。
それは、つまり指導者として「勝ちに行く姿勢」の程度の問題、そしてその周りの親たちの「勝ちに行く姿勢」の程度の問題ではないか思った。その姿勢が悪いとか、いいとかいうわけではなく、そこに少年サッカーの本質の一つがあるのではないかと思った。
俺は、自分が少年サッカーに携わっていた時期、コーチ・監督に堂々とその問題に対して異を唱える者はいなかった。だが、チームの親同士での静かないさかいはかなりあった。その原因はそこにあった。
そこまでする必要あるの? みんな仲よくやればいいじゃない。いや、ここで頑張らないと、強いチームはその程度のことはやらないと…。そんなことだったと思う。
俺は、少年サッカーのキャプテンの親として、そして同時に中学の部活のおやじコーチとして、そのことで悩んだことがない。
「勝ちに行く」その姿勢一点バリだった。
勝ちたかった。そして勝たせてやりたかった。それこそがこの子たちのためだと信じて疑わなかった。
そして勝てたときのあの子たちの飛び跳ねて喜ぶ姿、いい年して飛び上がって万歳して、握手している親たち…一人一人と握手していたコーチ・監督たち。
そしてどうしても勝てない相手、負けてしまったときの彼らの涙、一緒に涙ぐむお母さん、息子の肩をたたいて慰めるおやじ…悔しさに口をヘの字にしたまま、「力不足でした」と頭を下げたコーチたち。勝ったとき、負けたときのあの姿をどうしてもまた見たくなってしまう。そして自分の子どもも、自分もその輪の中にいたかった。
しかし、最近の意見を聞いていると、その子たちのその先のサッカーについて、俺は何も考えていなかったことに気づいた。なるほど、あの時期に練習すべきはこういうことを優先的にやらないといけなかったのか…そんな反省が今さらのように出てくる。
思慮不足…恥ずかしい限りだ。
しかし、それでも俺はチームとして代表で出ていく試合は、それが低学年のチームであろうと、そのチーム全体を代表するAチームの試合であろうと、そのチームの総力をもって戦いに臨むべきだという信念は変わりない。そしてそれが相手に対して最大の尊敬であり、礼儀であると今でも信じている。
小学校のサッカーは中学のために、中学のサッカーはユースのために、ユースのサッカーはプロのサッカーのためにあるのだろうか?少年サッカーは予備校か?
高校の先までサッカーができる人は、ほんの一握りだ。
ならば、小学校は小学校で全力で勝ちに行く
中学は中学で全力で勝ちに行く
高校は高校で全力で勝ちに行く
それが、そのときサッカーをやっている子供たちにとって、一番思い出になり、一番楽しいのではないだろうか?
しかし、子供の将来を考え、その時期、その時期に適した練習、チーム編成を考えている方々がたくさんいる。
俺は、その方々の考えは正しいと思う。そしてその姿勢を尊敬する。
尊敬はするが…申しわけないが、その考えはどうも好きにはなれない。
これは好き嫌いの問題だ。そこを間違えないようにしてほしい。
やっぱり俺はイケイケなんだろう。 「イケ〜! いってまえー」なのだ。
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最近、俺の主催している掲示板にある問題で議論が巻き起こっている。
事の発端は、小学生低学年のチーム分けの話から始まった。
実力主義で力のある低学年の選手を一つ上の学年のチームに入れ、実力の劣る高学年を低学年チームに移して試合に臨むべきか、いや、そうではなく同学年は一つのチームとして互いの和を重んじて試合に臨むべきか、という問題だった。
それは、つまり指導者として「勝ちに行く姿勢」の程度の問題、そしてその周りの親たちの「勝ちに行く姿勢」の程度の問題ではないか思った。その姿勢が悪いとか、いいとかいうわけではなく、そこに少年サッカーの本質の一つがあるのではないかと思った。
俺は、自分が少年サッカーに携わっていた時期、コーチ・監督に堂々とその問題に対して異を唱える者はいなかった。だが、チームの親同士での静かないさかいはかなりあった。その原因はそこにあった。
そこまでする必要あるの? みんな仲よくやればいいじゃない。いや、ここで頑張らないと、強いチームはその程度のことはやらないと…。そんなことだったと思う。
俺は、少年サッカーのキャプテンの親として、そして同時に中学の部活のおやじコーチとして、そのことで悩んだことがない。
「勝ちに行く」その姿勢一点バリだった。
勝ちたかった。そして勝たせてやりたかった。それこそがこの子たちのためだと信じて疑わなかった。
そして勝てたときのあの子たちの飛び跳ねて喜ぶ姿、いい年して飛び上がって万歳して、握手している親たち…一人一人と握手していたコーチ・監督たち。
そしてどうしても勝てない相手、負けてしまったときの彼らの涙、一緒に涙ぐむお母さん、息子の肩をたたいて慰めるおやじ…悔しさに口をヘの字にしたまま、「力不足でした」と頭を下げたコーチたち。勝ったとき、負けたときのあの姿をどうしてもまた見たくなってしまう。そして自分の子どもも、自分もその輪の中にいたかった。
しかし、最近の意見を聞いていると、その子たちのその先のサッカーについて、俺は何も考えていなかったことに気づいた。なるほど、あの時期に練習すべきはこういうことを優先的にやらないといけなかったのか…そんな反省が今さらのように出てくる。
思慮不足…恥ずかしい限りだ。
しかし、それでも俺はチームとして代表で出ていく試合は、それが低学年のチームであろうと、そのチーム全体を代表するAチームの試合であろうと、そのチームの総力をもって戦いに臨むべきだという信念は変わりない。そしてそれが相手に対して最大の尊敬であり、礼儀であると今でも信じている。
小学校のサッカーは中学のために、中学のサッカーはユースのために、ユースのサッカーはプロのサッカーのためにあるのだろうか?少年サッカーは予備校か?
高校の先までサッカーができる人は、ほんの一握りだ。
ならば、小学校は小学校で全力で勝ちに行く
中学は中学で全力で勝ちに行く
高校は高校で全力で勝ちに行く
それが、そのときサッカーをやっている子供たちにとって、一番思い出になり、一番楽しいのではないだろうか?
しかし、子供の将来を考え、その時期、その時期に適した練習、チーム編成を考えている方々がたくさんいる。
俺は、その方々の考えは正しいと思う。そしてその姿勢を尊敬する。
尊敬はするが…申しわけないが、その考えはどうも好きにはなれない。
これは好き嫌いの問題だ。そこを間違えないようにしてほしい。
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