■バーテンダーかまたり「コードネーム M9」
カウンター席に座って一人の背広を着た男性客、この店の常連さんだ。だがちょっと珍しい常連さん。俺たち男の店員とは全くと言っていいほど口をきかない。こちらが話しかけても、すっと引く。だから、こちらも引く、それが商売だ。だから名前も知らない。そういう意味では、この店では珍しい部類の常連さんだった。
いつも、一人でおとなしく500円のエイのひれを肴に、ロバートブラウンをロックで飲んでいる。そして時間になると、す〜と帰っていく。人畜無害無味無臭のお客様。
ところが、そのお客さん、急に店に足を運ぶ頻度が高まった。こういうときは、決まって目当ての子ができた証拠なのである。
そんな興味本位の目で、ちらちらと見てはいるのだが、はてさて、なかなかしっぽを出さない。かなりの身辺のしっかりしたお客さんだと見た。あの子がついても、9時になるとすっと帰る。この子がついても9時になるとすっと帰る。何が楽しいのだろう…と思っていた。
ある日、ミワちゃんが彼についた。ついたと言うと、なんか横に座って、「あ〜ら、いらっしゃい、ねえ、ご無沙汰じゃな〜い」なんて雰囲気を頭に浮かべてしまうのだろうが、カウンター越しの至って健全なつき方ですので、誤解なく。そのミワちゃん、格好はそれなりの格好をしてくれて、ピンクのとても似合う、かわいい子なのだが、
一つ、体がごつい
二つ広島弁丸出し
三つ、きついことをこともなげに言う…。
なので、俺はあまり水商売には向かないような気がしていたのだが…。
普通に、彼のロックグラスにロバートブラウンを注ぎ、しばらくニコニコしながら話をしていたようだった。それを見て、安心して俺も自分の仕事をやりだした。グラスを洗い、注文のカクテルをつくり、それなりに、自分の前のお客さんのお相手をしていた。
フロアーから注文された料理が1階から小型のエレベーターで降りてきた。俺は、それを取りに裏に回ると、後ろから「トントン」と背中をたたかれた。
「う〜ん?」と、振りかえると、ミワちゃんが、ふてくされた顔をして、
「ねえ、ハシモトさん、あん人、暗いんよ〜替えてぇな〜」
「まあまあ、ミワちゃん、頼むわ、今日は女の子少ないんやからな」
「…いっつも、愚痴ばっか…サイテーじゃ」とミワちゃん、イライラしながら、それでも自分のグラスを持って、彼のところに行ってくれた。
その後、かなりお客さんが入ってきたので、そちらに気が行って、彼とミワちゃんの会話のことは頭から消えていた。
いつも彼の帰る時間、9時になった。
だが、彼はカウンターにいた。ミワちゃんも、少し忙しくなってきて、彼だけのお相手をしているわけにもいかず、あちらこちらのお客さんと話をしながらお酒を出していた。
だが、彼女、とても気だてのいい子で、やっぱりひとりでぽつんとしているお客さんを放っておくことができない。あっちへ行っては、また彼のところへ戻ってきてちょっと話をし、またこっちのお客さんのところへ来ては、まだ戻って、彼とお話をしている。本当に、とってもいい子だ。
11時、彼は一瞬フラッとして、カウンターの席を立って、帰っていった。
「あん人、お役所の人なんや…もう愚痴ばっか」と、ヒソヒソ俺に話をするミワちゃん
「そうなんや、固いイメージあるもんな」と俺
「君たちのように、遊んでいてお金はもらえるなんて天国だね、だって…馬鹿にしよって」と怒るミワちゃん。
「まあまあ、しゃないやんけ…これも仕事やもんな、黙って聞いておかんと…」と俺
「じゃけ、言ってやったわ…こんなとこ来て愚痴言う暇があるだけええやん、うちなんてお金ないもんで、こんな夜まで働いとんやってな」ミワちゃん、かなり怒っていて、もう完全に戦闘モード。
「うそ…そんなこと言うたんか?」
「言うてやったわ…もう、よう、こんやろ…ハハハ」と勝ち誇った、ミワちゃん。
だが、2日後、彼はいつもの時間に、いつもの位置に座っていた。
そしてミワちゃんを手招きして、ミワちゃんにグラスを持ってこいというような仕草をしていた。ミワちゃん、あまりニコニコともせず、自分のグラスを持って、彼のところに言った。彼は、ミワちゃんのグラスに自分でウィスキーを注ぎ、彼女に勧めていた。
しばらくして…
「あんた、男じゃろ、もうちっとシャキッと…」ザワザワした店内で、俺の耳にミワちゃんの声がかすかに聞こえた。
チラッとそっちの方を見ると、おっと、完全に彼はグロッキー、うなだれてしまっていた。
怒って暴れるようなお客さんではないにしても、それでも…、幾らなんでも…。ミワちゃん…頼むよ〜俺は半分泣きそうになった。
彼は、しばらく一人で飲んでいて、ふっと帰っていった。
だが、彼の来店の日は、見事にミワちゃんの出勤日と重なるようになった。
ある日、ミワちゃんに「ミワちゃんのお客さんやもんな」と俺が、ニヤニヤして言うと
「変態じゃ…うちがビシッと言うてやったらな…」と俺の方を向いたミワちゃんの顔が真顔になった。
「うん…言うたら…」と俺
「あの男…あの男の体がピクッとするんじゃ…ピクッと…するんじゃ」
真顔のミワちゃんの顔が一気に崩れ、涙目になって笑いこけていた。
「うっそ〜ピクッてするんか?」と俺もはやし立てる。
「そうなんじゃ、もう…あのときみたいじゃ」と、ゲラゲラ笑い倒すミワちゃん。
そして、その日も彼は来た。いろいろ言いながらも、ミワちゃん、いつものように彼の前でお相手をしていた。
俺たち周りの者は、その「ピクッ」の真意を確かめたくて、見てはいけない、見てはいけないと思いつつ、視線は自然に彼の全身に注がれた。
「どこが…ピクッとするんやろな〜」俺たち男性店員は、そのことのみに全神経を集中させた。
そして「なあ、なんでそんなこと言われて黙っちょるん?それでも男ね?」ミワちゃんの激は飛んだ
次の瞬間…彼の腰から上が「ピクッ」…
俺たちは、目にいっぱいたまりそうな涙をこらえつつ、トイレに駆け込んだ。
「……うう、うう、う、ワッハハハハ…いきよった…ほんまにいきよった」トイレの中は男3人で大騒ぎ
今夜、彼は来ない。ミワちゃんがお休みだから…。
人には人の楽しみ方がある。
人間とは本当に奥が深いものだと知った。
以後、俺たちは、彼を「M9」と呼ぶようになった。
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