■補欠
あるサイトのコメントに
「補欠だから、違うチームに行かせる」という親のコメントがあった。
なるほど…と思った。
うちの長男ナオトが、小学5年生の始めのころだった。
ナオトは補欠だった。
試合開始の時間になり、レギュラー11人が本部席前に整列し、一例して、ピッチの真ん中に敵チームと2列に並んで進んでいく。会場からは、拍手とかけ声が飛ぶ…
「頑張れ!」「しっかり〜」
そのとき、ナオトを含め補欠の選手たちは、全員の水筒やタオル、その他必要なものを両手いっぱいに持って、ベンチを設置しにいく。
チームは、そこそこ強かった。
一緒に練習している友が、活躍する。
守り、ボールを前線に出すバック陣
バック陣から受け取ったボールを、ドリブルしながら上がっていくミッドフィルダー
声を出しながら、ゴール前に走り込もうとしているフォワード
「格好いい」のだ。
とっても格好いいのだ。
それをベンチで懸命に応援している、ベンチ陣
試合が終わり、勝利の喜びに一緒になって飛び上がるナオトたちベンチ陣
親たちも、隣の親と握手をし、
「いや〜危なかったですねぇ〜」とほほえんでいる。
しかし…補欠の親の心には、何かが残る。
どうしても、満面笑みのもろ手を上げての大喜びにはなれない。
サッカーだろうが、野球だろうが、強いチームに入ると、なんだかんだ言っても、多くの試合に勝つことができる。
試合に勝つ、これほど親も子供もも沸き上がることはない。
試合の帰りには、車の中でああだ、こうだと試合を振り返り、勝利の味をもう一度味わうこともできる。
勝つことができるチームに所属しているというだけで、子どもたちも親たちもかなり大きな満足が得られる。
だが、当然だが、強いチームに入ると、そこには激しいレギュラー争いがあり、そうやすやすとは試合に出ることはできない。
長男は、5年生の前半まで補欠だった。
周りの人は
「ベンチの子たちがいてくれるから試合ができるのよ、試合にも出られないのに、本当に頑張ってくれて…」と感謝の言葉を言ってくれる。ありがとう言葉だった。
だが、そんな優しい言葉をかけられても、俺は、納得はできなかった。
長男はベンチで一生懸命応援していた。けなげな姿だった。
だが、奴も自分の今の位置に満足はしていなかった。
その証拠に、たまに勝ちが決まった試合の後半残り5分ほど、監督の「出してやろう」の温かい配慮でピッチに立ったとき、奴の表情は弾けていた。
悔しさを表には出さず、それなりに努力していたんだろう。
奴が、補欠ということは、つまり俺は補欠の親だった。
悔しかった…俺が悔しかった。自分自身が補欠であるより、息子が補欠であるということはもっと悔しい思いをするんだと、そのとき知った。
強いチームにいればいるほど、友の活躍が目覚ましく、自分がそこに入れない、幾ら誇らしげに同じユニフォームを着ていても、所詮試合に出ることはできないのだ。
自分より上手な奴がいる。ずっとデカイ奴がいる。補欠もそれはそれ勝負の世界、いたし方のないことだ。レギュラーがいれば必ずサポートする補欠が必要になる。
だが、レギュラーを諦めてはいけない。
卒業するまで、チームを離れるまで、レギュラーを目指して頑張るべきだ。
その努力が、きっと実を結ぶときがある。
それは、5年後かもしれない、10年後かもしれない
…ひょっとして明日かもしれないからだ
親は、そのサポートをすべきなのだ。
自分は、この子のために何ができるのだろうと考えるべきだ。
「もっと一生懸命やれ」
「シュートを入れろ」
「もっと走れ」
そんな抽象的な、意味のない、口出しは子どもにとっては、アドバイスどころか、うるさい文句としか受け取れない。
他のチームに移る、補欠のままその位置にあまんじる…だれも非難はできない。そしてそれを決めるのは、その親子の自由だ。
だが…
考えよう
この子のために、何ができるのだろうと
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