氏 名 かまたり
塾講師歴 18年
経 歴
北海道釧路に生まれる
2歳で奈良県に移住、以後関西人となる
幼稚園を抜け出し、先生に怒られる、でも、幼稚園が嫌いで何度もやった
小学校に入るが毎日立たされる、小学校は抜け出せなかった
5年生で初めて男の先生になった。その先生におだてられて、水泳部に入れられた、勉強できない、足は遅い、体は小さいというおれは、人におだてられたことがないので、うれしくて頑張った。県大会に出るが、成績は女子の最高記録と同じだった。
その先生はおだてるのがとても上手だった。秋になると、またおだてられて小学校のサッカー部に入れられた、市大会、県大会に出場したが、成績は覚えていない、他の人が強かったので負けたのは1回だけだった。
中学に入った。毎日、女の先生に怒られる。いつも1番目に立たされた、そしていつも2番目に立たされたヤツと友達となったが、ヤツはやくざになった。そしていつも3番目に立たされたヤツはシンナー中毒で20歳で死んだ。だから今でも女の先生は怖い。
中学1年の1学期の期末試験(奈良県は当時1・2学期も中間、期末があった、多分今もそのはず)成績の発表の後、先生に呼び出される。怒られると思ったら、初めてほめられた。うれしかった。どうも中間テストより5教科全部上がったらしい。2学期のテストも先生にほめられた。勉強すればほめられると思った。それでも学年で320人中120番ぐらいだった。
中学2年になった。1年からバスケット部に入っていたが、体は小さいし足は遅いで、でかいヤツに勝つのが大変だった。3年が引退したとき、突然、キャプテンにされた。人の上に立ったことなんかなかったので、びびった。
どんどんおだてられるようになった。成績はどんどん上がった。勉強すれば成績は上がると思った。学年で320人中35番ぐらいだった。
中学3年になった。8月中ごろの大会まで部活は続いた。夏休みは、朝から隣の高校へ行ってOB相手にしごかれ、午後は中学校の体育館で6時まで練習した。しんどかった。勉強どころではなかった。
それでも、毎月ある模擬テストの成績が毎回上がっていった。秋からは部活もなくなり、楽になった分、また上がった。でも上位のやつらを抜くのは大変だと思った。結局、最後のテストで320人中16番が最高で終わった。
奈良県立郡山高校に合格(奈良県公立ではまあまあの進学校)おれより、成績の悪いやつが上の高校に結構行ったので悔しかった。でも、おれが上の高校を受験しても落ちたろうと思った。
高校へ入ってボーとなった。勉強も何もしなかった。成績は420人中300番ぐらいだった。
高校3年生になった。勉強しなかったのが災いして、担任にどこへも行けないぞと言われた。それなら受験しても金の無駄だと、北海道大学を1つ受けただけだった。当然落ちた。
北大へ行くと言って、北海道で浪人した。本当は家で親父と顔を合わせるのがイヤだっただけだ。親が北海道出身だということもあり、認めてくれた。1年間で勉強した。同志社大学工学部の合格発表の日、おやじから電話が来た「残念だったな」と言われた、布団をかぶって泣いた。
次の日、同志社大学から合格通知が来た。どういうことだ。合格発表を見てもらうのは確かな人物に頼むのがいいと思った。北海道大学はまた落ちた。同志社大学工学部(関西ではそれなりに有名な大学)に入学
熱力学という学問を専門に学んだような気がした。なんとか大学を卒業。
熱力学を勉強したということで、エアコンで有名な会社に入社。新宿の住友ビルという三角の高層ビルで業務用特殊エアコンの設計をやっていた。
女房のおやじがおれの会社に来ないかというので、ここに来た。毎日ワープロやパソコンと向き合う仕事が嫌になり、塾の雇われ講師をアルバイトで始めた。おもしろいと思った。どんどんはまっていった。
合計3つの塾で雇われ講師をやったが、どれもやりたいことをやらせてくれないのが気に入らないので、金もないのに独立してしまった。
現在に至る
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塾講師歴 18年
経 歴
北海道釧路に生まれる
2歳で奈良県に移住、以後関西人となる
幼稚園を抜け出し、先生に怒られる、でも、幼稚園が嫌いで何度もやった
小学校に入るが毎日立たされる、小学校は抜け出せなかった
5年生で初めて男の先生になった。その先生におだてられて、水泳部に入れられた、勉強できない、足は遅い、体は小さいというおれは、人におだてられたことがないので、うれしくて頑張った。県大会に出るが、成績は女子の最高記録と同じだった。
その先生はおだてるのがとても上手だった。秋になると、またおだてられて小学校のサッカー部に入れられた、市大会、県大会に出場したが、成績は覚えていない、他の人が強かったので負けたのは1回だけだった。
中学に入った。毎日、女の先生に怒られる。いつも1番目に立たされた、そしていつも2番目に立たされたヤツと友達となったが、ヤツはやくざになった。そしていつも3番目に立たされたヤツはシンナー中毒で20歳で死んだ。だから今でも女の先生は怖い。
中学1年の1学期の期末試験(奈良県は当時1・2学期も中間、期末があった、多分今もそのはず)成績の発表の後、先生に呼び出される。怒られると思ったら、初めてほめられた。うれしかった。どうも中間テストより5教科全部上がったらしい。2学期のテストも先生にほめられた。勉強すればほめられると思った。それでも学年で320人中120番ぐらいだった。
中学2年になった。1年からバスケット部に入っていたが、体は小さいし足は遅いで、でかいヤツに勝つのが大変だった。3年が引退したとき、突然、キャプテンにされた。人の上に立ったことなんかなかったので、びびった。
どんどんおだてられるようになった。成績はどんどん上がった。勉強すれば成績は上がると思った。学年で320人中35番ぐらいだった。
中学3年になった。8月中ごろの大会まで部活は続いた。夏休みは、朝から隣の高校へ行ってOB相手にしごかれ、午後は中学校の体育館で6時まで練習した。しんどかった。勉強どころではなかった。
それでも、毎月ある模擬テストの成績が毎回上がっていった。秋からは部活もなくなり、楽になった分、また上がった。でも上位のやつらを抜くのは大変だと思った。結局、最後のテストで320人中16番が最高で終わった。
奈良県立郡山高校に合格(奈良県公立ではまあまあの進学校)おれより、成績の悪いやつが上の高校に結構行ったので悔しかった。でも、おれが上の高校を受験しても落ちたろうと思った。
高校へ入ってボーとなった。勉強も何もしなかった。成績は420人中300番ぐらいだった。
高校3年生になった。勉強しなかったのが災いして、担任にどこへも行けないぞと言われた。それなら受験しても金の無駄だと、北海道大学を1つ受けただけだった。当然落ちた。
北大へ行くと言って、北海道で浪人した。本当は家で親父と顔を合わせるのがイヤだっただけだ。親が北海道出身だということもあり、認めてくれた。1年間で勉強した。同志社大学工学部の合格発表の日、おやじから電話が来た「残念だったな」と言われた、布団をかぶって泣いた。
次の日、同志社大学から合格通知が来た。どういうことだ。合格発表を見てもらうのは確かな人物に頼むのがいいと思った。北海道大学はまた落ちた。同志社大学工学部(関西ではそれなりに有名な大学)に入学
熱力学という学問を専門に学んだような気がした。なんとか大学を卒業。
熱力学を勉強したということで、エアコンで有名な会社に入社。新宿の住友ビルという三角の高層ビルで業務用特殊エアコンの設計をやっていた。
女房のおやじがおれの会社に来ないかというので、ここに来た。毎日ワープロやパソコンと向き合う仕事が嫌になり、塾の雇われ講師をアルバイトで始めた。おもしろいと思った。どんどんはまっていった。
合計3つの塾で雇われ講師をやったが、どれもやりたいことをやらせてくれないのが気に入らないので、金もないのに独立してしまった。
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