■第18話 悲しきおやじ心
少年サッカーをやっている子供の親たちには多種多様なお母さんやおやじがバックに控えている。
キャプテンの親として、まずしっかりとしなければならないのは、監督・コーチ陣とその親たちをいかにうまくつなぎ、いかに親たちをうまく回転させるかにかかっていると断言できる。
だんだん子供の顔と名前、その子供の親の顔が一致してくるころ、だんだん親と子供がわかってきた。
そのとき大変事件が起こった。俺たちBチームの上、つまりAチームが崩壊しだしたのだ。「なんなんだ?」と女房に聞くと、どうやらおやじコーチ、おやじ監督たち、おやじ評論家たちがどんどんエスカレートし、ついに監督・コーチがキレたらしい。選手の起用や作戦まで口を出し、それも試合中にやったらしい…。
その事実は、すべてが封印され、詳細は不明だったが、いろいろな情報筋からかなり内容が明らかになった。
ある試合で、監督でもコーチでもないくせに、やたら練習や試合に口を出すおやじ、これをおやじ監督というが、その、おやじ監督がいつものように、試合中、他人の子供をなじった「タケシ、どこ見てんだよ…」と。
するとタケシの親だって、いつもいつも試合のたびに、監督でもコーチでも何でもない奴に…「やろう…人の子をなんだと思っているんだ」とキレた。
そのときは…まあまあという感じで、大人同士の解決が一応はできた。
しかし、タケシの親の腹には…何かが残った。そんなことが続いた。
たいてい、おやじ監督はチームに複数いる。このときは3人だった。この3人は仲がよろしくないのは容易に想像できる。
そして、その3人になじられている子供の親たちはかなり大勢いるわけだ。
当然、おやじ監督の3人はチームで浮く?…それがそうではないのだ。おやじ監督自身には力も人望もなくとも、その息子たちはたいてい強いのだ。なので親子としてチームにとって必要というストレスのたまる図式になっている。
こんな状態が続くとどうなるか、子供たちは試合がいやになる?…いえいえ違うのです。
おやじ監督になじられた子供たちは意外にも、ほとんど気にしていないことが多い。試合をやっているグラウンドまで声が届いていなかったり、聞こえたって「ば〜か、あのはげおやじ何言ってんだよ」なんて感じで、意に介さないことが多い。
問題は、その子たちの親だ。自分自身がなじられるより、我が子をなじられる方が数倍腹が立つことを、そのとき親は初めて経験する。
そのストレスは時とともに蓄積され、親は自ら気づかず、そのはけ口を子供に向ける場合がある。「お前がしっかり走らないから…」、「なんで抜かれるんだ」…と、つい夕食の時に出てしまう。そして試合のときに、つい大声で「左だ、左、どこ向いてんだ」と大声を出すようになっていく。ここに悲しいおやじコーチがまた1人誕生するのだった。
おやじ監督は、自分の息子と自分の存在を大きくするため、エスカレートすることはあっても、沈静化することはない。おやじコーチも同じことだ。ここにチームワークはない。勝ったところで、表面をつくろう、つくり笑顔の勝利しか得られなくなってしまった。
そして、ついに、公式戦の試合中、ひとりのおやじが、本物の監督・コーチの席に怒鳴りこんだ。「何で俺の息子を試合に出さねんだよ 幾ら金使ったかわかってんだろう」と。
試合後、監督・コーチは、「チームを解散します…子供のために、そう思ってやり出したこと。こんな恥ずかしいことは初めてです。」と語ったという。
愚かと一言で片づけるには
…余りにも悲しい「おやじ心」がここにある。
<少年サッカー編>
続きを読みたい方・おもしろかったと思っていただいた方は、
下のバナーをクリックしてください。
少年サッカーをやっている子供の親たちには多種多様なお母さんやおやじがバックに控えている。
キャプテンの親として、まずしっかりとしなければならないのは、監督・コーチ陣とその親たちをいかにうまくつなぎ、いかに親たちをうまく回転させるかにかかっていると断言できる。
だんだん子供の顔と名前、その子供の親の顔が一致してくるころ、だんだん親と子供がわかってきた。
そのとき大変事件が起こった。俺たちBチームの上、つまりAチームが崩壊しだしたのだ。「なんなんだ?」と女房に聞くと、どうやらおやじコーチ、おやじ監督たち、おやじ評論家たちがどんどんエスカレートし、ついに監督・コーチがキレたらしい。選手の起用や作戦まで口を出し、それも試合中にやったらしい…。
その事実は、すべてが封印され、詳細は不明だったが、いろいろな情報筋からかなり内容が明らかになった。
ある試合で、監督でもコーチでもないくせに、やたら練習や試合に口を出すおやじ、これをおやじ監督というが、その、おやじ監督がいつものように、試合中、他人の子供をなじった「タケシ、どこ見てんだよ…」と。
するとタケシの親だって、いつもいつも試合のたびに、監督でもコーチでも何でもない奴に…「やろう…人の子をなんだと思っているんだ」とキレた。
そのときは…まあまあという感じで、大人同士の解決が一応はできた。
しかし、タケシの親の腹には…何かが残った。そんなことが続いた。
たいてい、おやじ監督はチームに複数いる。このときは3人だった。この3人は仲がよろしくないのは容易に想像できる。
そして、その3人になじられている子供の親たちはかなり大勢いるわけだ。
当然、おやじ監督の3人はチームで浮く?…それがそうではないのだ。おやじ監督自身には力も人望もなくとも、その息子たちはたいてい強いのだ。なので親子としてチームにとって必要というストレスのたまる図式になっている。
こんな状態が続くとどうなるか、子供たちは試合がいやになる?…いえいえ違うのです。
おやじ監督になじられた子供たちは意外にも、ほとんど気にしていないことが多い。試合をやっているグラウンドまで声が届いていなかったり、聞こえたって「ば〜か、あのはげおやじ何言ってんだよ」なんて感じで、意に介さないことが多い。
問題は、その子たちの親だ。自分自身がなじられるより、我が子をなじられる方が数倍腹が立つことを、そのとき親は初めて経験する。
そのストレスは時とともに蓄積され、親は自ら気づかず、そのはけ口を子供に向ける場合がある。「お前がしっかり走らないから…」、「なんで抜かれるんだ」…と、つい夕食の時に出てしまう。そして試合のときに、つい大声で「左だ、左、どこ向いてんだ」と大声を出すようになっていく。ここに悲しいおやじコーチがまた1人誕生するのだった。
おやじ監督は、自分の息子と自分の存在を大きくするため、エスカレートすることはあっても、沈静化することはない。おやじコーチも同じことだ。ここにチームワークはない。勝ったところで、表面をつくろう、つくり笑顔の勝利しか得られなくなってしまった。
そして、ついに、公式戦の試合中、ひとりのおやじが、本物の監督・コーチの席に怒鳴りこんだ。「何で俺の息子を試合に出さねんだよ 幾ら金使ったかわかってんだろう」と。
試合後、監督・コーチは、「チームを解散します…子供のために、そう思ってやり出したこと。こんな恥ずかしいことは初めてです。」と語ったという。
…余りにも悲しい「おやじ心」がここにある。
<少年サッカー編>
下のバナーをクリックしてください。








